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 掲示板「発言小町」開設20周年インタビュー企画の第6回は、インターネットコミュニケーションの研究をしている立教大学社会学部教授の木村忠正さん。自由に発言できるインターネット掲示板のコミュニティーにも、正義感や倫理観が大きく働いていると指摘します。

――発言小町の掲示板をご覧になったことはありますか。

 卒業論文で「スマホと育児」といったテーマを選んだ学生が、オンライン上の意見を知る際に発言小町を調べていました。投稿がすべてチェックされて掲載しているため、炎上のリスクがない一方で、幅広い意見が表現されている印象を持っています。社会の様々な問題に関心を抱いていても、フルタイムで働いている人や子育てに忙しい人は、どこかに出かけていってディスカッションをしたり、意見を表明したりすることは難しい。ネット掲示板は、時間や場所を問わず、だれでも参加できます。そして、自由な議論が行われ、意思決定をしたり、新たな考え方に気づいたりすることができます。様々な立場の人が、いろいろな意見を表現できる場があるのは大切なことです。

――匿名でのやりとりについてはどのように考えますか。

 「脱個人化」という言い方をしますが、匿名でのやりとりは、「相手が人である」「特定の個人である」という認識が薄れてしまいます。激しくののしったり、揚げ足を取ったり、(さげず)んだり……。いわゆる、たがが外れた状態です。オンラインでは、こうした非抑制的なやりとりが行われやすい傾向があります。

 ただ、匿名だからこそ、自己開示欲求も高まります。かなり身近なこと、例えば、夫のこと、子どものこと、姑のこと、職場のトラブル、好意を寄せている人がいることなどを書き込むことができます。リアルのネットワーク(家族、友人、同僚など)には言いづらい内容を吐露できます。同じような悩みを抱える人が集まり、意見を寄せ合ったり、共感を示したりできることもあります。

インターネットは聞き上手で話し上手

――インターネットの掲示板は悪意や罵詈雑言で荒れるリスクもあります。

 私たちは、スマホが登場したからスマホ中毒に、SNSの発達でSNS依存に、といった議論をしがちです。しかし、インターネットが危険というのはナンセンスです。ネット掲示板についても、ヘイト、あおり、釣りなどがあふれており、ある特定の属性と結びつけてダメと切り捨てるのはちょっと違うと思います。使い方が良ければ、新たな人間関係を築き、新たな生き方のきっかけとなり、信頼関係をつむぐ社会関係資本の一つになります。インターネットは聞き上手で話し上手。聞きたいことをいつでも聞けますし、話したいことを誰かが話しています。

――インターネットを介したやりとりは使い方が大事ということでしょうか。

 オンラインは、匿名であっても個人の手がかりを作り出そうとする動きが見られます。テキストだけの文章では無味乾燥になりがちで、ニュアンスや感情が伝えにくい。だから、絵文字やスタンプがどんどん洗練されています。文面やハンドルネームに個人を特定する手がかりもあります。このように手がかりがリッチであればあるほど、コミュニケーションが活発になります。返信のタイミングにも個性が表れます。相手によって、即レスをしたほうがいい場合もあれば、しばらくたってから返事をしようという場合もあります。最近の学生を見ていると、オンラインのコミュニケーションをとても大切にしていて、人間関係を維持するために、ものすごい工夫や配慮が求められています。

――コミュニケーションの中にさりげなく個人が垣間見える。

 言いたいことを言うだけであれば、非公開のブログでもいいわけです。自分の感じたこと、日々のささいなこと、不満や主張を、不特定の誰かが読むことを期待しているわけです。ある意味で自己承認欲求です。認められたいと思うこと自体は当たり前です。ただ、それが強すぎたり、度を越したりすると、面倒な「かまってちゃん」と疎まれてしまいます。インスタグラムが象徴的ですが、日本ではハレの自分を表現するツールになっています。ただ一方で、リア充(リアルが充実しているとアピールすること)が過ぎると、「におわせ女」「これみよがし」などと嫌われます。承認欲求と過剰表現の微妙なバランスがあり、自然とお作法やルールが出来上がってきます。たくさんの「いいね」が付いたり、フォロワーが増えたりするように振る舞いを気をつけるわけです。

――発言小町も「トピを開いてくださってありがとうございます」や「私の心が狭いのでしょうか」といった独特の表現やお作法が見受けられます。

 ちょっと謙虚な姿勢を見せつつ、気を使って言葉を選ぶというのは、長い年月をかけ、自然と培われた「お作法」なのでしょう。掲示板に書き込むときには、やはり、正義感や善悪の判断が働きます。「自分が正しいと思うこと」を規範として、「許せる」「許せない」と意見をするわけです。教員間のいじめが話題になりましたが、正義や公正さが危うくなる問題に人は強く反応を示し、世論が沸き起こりやすい。携帯電話が普及し始めのころには、優先席付近では電源を切りましょうというルールが作られるようになります。それが、音が出なければ、電源は切らなくてもいいですよ、と変わっていきます。そうこうしているうちに、通話よりもLINEのやりとりが当たり前になって、今度は歩きスマホはやめましょう、となるわけです。

暗闇の中でマッチをすっているイメージ

――テクノロジーの進化に伴い、求められるルールやモラルにも変化が見られます。

 アナログの時代は、人々がいろいろとネゴシエーションをしていく中で、一定のルールがゆっくりとできていました。上司にお歳暮を贈るとか、年賀状を出すといった贈答の習慣やしきたりなどがそうでしょう。テクノロジーの発展が目覚ましい近年では、「足跡が残るからやめた」「既読スルーは許せない」「未読無視でいいのか」といった議論をしている間に、次の機能にいってしまうような状況です。コミュニティーのルールがまとまるまで待ってはくれません。流行も同じで、暗闇の中でマッチをすっているようなイメージです。炎上やトレンドがあちこちで発生し、その周辺にいる人には大ごとですが、24時間たつと何事もなかったように消えていきます。

――インターネット掲示板に求められる役割はどのようなものでしょうか。

 発言小町が20年間にわたって掲示板というかたちで続いているというのは、やはり、社会が必要としているということの表れでしょう。息苦しい場所であれば、人は自然と離れていきます。でも、いつの時代も悩みがあり、言いたいことがあり、こういう掲示板が必要とされているのだと思います。インターネットの世界は、一つのサイトがすべてに対応することはできません。コミュニティーはしきたりや作法が存在するわけですが、妙にうるさい姑と声の大きい嫁が争い続けるような構図になると、人々の足が遠のく可能性があります。コミュニティーを司る神のような存在があり、新参者を育てるケアテーカーがいて、うまく新陳代謝が促される必要があります。

 インスタグラムやYouTubeなどを見ていると分かりますが、コンテンツは「人」へ移行しています。自らの日常や生活をさらけ出すような内容が増えており、それにひかれるユーザーも少なくありません。一方で、発言小町の掲示板では相変わらず、「言葉」による議論が続けられているのが大変おもしろいと思います。


プロフィル


木村 忠正(きむら・ただまさ)

1964年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科文化人類学専攻修士課程修了、修士号取得。2010年ニューヨーク州立大学バッファロー校大学院人類学部博士号取得。東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て、2015年から現職。CS朝日ニュースター『ニュースの深層』キャスター、総務省情報通信審議会専門委員などを歴任。主な著書に『デジタルネイティブの時代 なぜメールをせずに「つぶやく」のか』など。


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